200年前のおじいちゃんと伊能忠敬との関係性が地方新聞に載った話


昨夜、母親から少し興奮して電話がありました。

「伊能忠敬の日本地図作成にあたり、四国南西部でウチのおじいちゃんが協力した史実が新聞に載った」

とのことでした。

この、グーグルマップの時代に伊能忠敬ときたので、「呆けたのか?」と焦りましたが、本当の話のようでした。

我が家の系統は、僕がいちおう直系嫡男なので、だいたい把握しており、今風に書くとこんな感じです。

①400年前のおじいちゃん、長曽我部側について関ヶ原で敗退

②外様大名と家臣たちに領地を奪われ、地方下級武士(郷士)に転落

③坂本家はじめ郷士たちが頑張り大政奉還、明治以降は士族に地位回復

④アメリカに負けてみんな平民、農地没収(今ここ)

という感じです。

ちなみに、調べて記事にしてくれたのは、地元新聞記者で分家の末裔にあたる方で、わざわざ母を訪ねてくれたそうです。

さて、今はグーグルマップの時代なので、400年前のおじいちゃんが追い詰められた出自の地を見てみました。


四国の最果ての地、叶崎のたもとに村落はあります。


右側が村落、左側が一族のお墓です。


江戸時代以前から続く、我が家の一族のお墓はここです。

しばらく参ってないので、なんだかノスタルジックな気分になりますね。

また、お参りにいきます。

話は戻りますが…

実際の話、現代の日本でも土地や特権を持っているのは、関ヶ原の勝ち組→華族(明治貴族)→その末裔、という感じなので…

400年前のおじいちゃん、なんで負けたんや、二回も領地をとられて我が家はすっからかんやん。

という気持ちになる時もありますが…

関ヶ原で裏切って東軍についた小早川家みたいに、日本史に燦然と「裏切り者一族」の汚名を残す恥よりは、ずっと潔いと思います。

そんなこんなで、関ヶ原~平成のちょうど中間地点の200年前のおじいちゃんの史実が掘り起こされました。

伊能忠敬資料館

こちらに記載されています。

身分としては、名字帯刀が許されたなかで最下級の「庄屋」です。今で言う「村長」ですね。

たしかに、近年の我が家は代々、村長で校長(教員)のパターンでしたが、だいたい全国的にも士族の典型例みたいです。

何はともあれ、関ヶ原の敗退から400年、なんとか雪辱を晴らそうという気持ちもあり、僕自身、競技者として頂点にと頑張ってきましたが、もうちょい残念な感じで終わっています。

現在、東京に競技進学し、奮闘中の現直系嫡男さん(息子ね)に、「武を以て名を成せ」と軽く圧力をかけておきます(笑)